2006/08/12

サッカーアスペクトの生成

1.意志に従うアスペクトは要プラクティスでも原初のアスペクトでもいいが、何かがないと成り立たない
2.もしサッカーアスペクトが意志に従うものならば、
3.サッカーアスペクトにもベースになる何かがある

例えばある運動をそれとして捉えるようなことが。
それをベースに戦術的なアスペクトやルールの適用などを見るのではないか。

2 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

サッカーのアスペクトには、技術を条件とするものもあるのではないか。
守屋はある原初のかたち(ゲシュタルト)が現出しなければ、その後のプラクティス・学習が成立しないと述べる。
それは視覚的なかたちに限らず、聴覚的かたちなどについても同様のことが言えるだろう。
では、視覚的かたちの中でもそれが静的なかたちである必然性はあるのだろうか。
そうではなく、運動のゲシュタルトが考えられるとしたら(事実、運動学などで考えられている)、原初の運動ゲシュタルトから始まるプラクティスが考えられるだろう。
すると、その繰り返し(プラクティス)によってある運動のアスペクトの同一性が打ち立てられ、例えばインサイドキックを(例えその名前を知らなくても)見るようになる。

このように考えれば、サッカーのアスペクトが意志によるものだけでないと言えるだろう。
むしろ、サッカーにおいて意志によってあるアスペクトを見るという場面はほとんど無いのではないか。
サッカーにおいて、単なる三角形の図のように文脈がないようなただのキックというものはまず現われない。
普通はゲーム展開などの文脈の中で、シュートならシュート、パスならパスというように捉えられている。
サッカーのアスペクトは技術・習熟によるものが主なのではないか。

Unknown さんのコメント...

(コマクサのアスペクトの同一性の成立という)「この場面で問題となるプラクティスとは、ひとが自ら行う習慣形成であると同時に、他人による教育によって促される営みでもあるからだ」守屋(1984)179頁

→教育によって技術を身につけて見るようになることがある。