2007/10/02

ハイデガーの「自己」と内省?

自己は実体としても主観としても把握されえないものであり、むしろ実存にもとづくものである(『存在と時間(下)』(ちくま学芸文庫)p.225)


これを次のように捉えることで、哲学の方法である反省的思考、内省というものへの批判と捉えることができないだろうか?

自己、すなわち私とは、実体や主観といった(私の周りにある対象としての)客体的存在者として捉えることはできない。
というのは、そのように捉えようとしているまさにその時の私はその「捉えようとする」というあり方で実存しているのであり、その時に反省的思考の中に現れてくる何者かではないからである。
別の言い方をすれば、その時反省しているものが私だというのではなく、その時反省しているということが私が実存しているということである、というような捉え方か!?

2007/09/30

裁判延期!?

ウィリアムズは人の乗っている車に向かって発砲して、逮捕された。ウィリアムズの弁護士は、この事件の裁判を二年も遅らせることに成功し、ウィリアムズが起訴されてからも、彼は無実に違いないとオズボーンは公言していた。裁判待ちの間に、ウィリアムズはコーンハスカーズの最強ディフェンス・バックとして名を馳せ、九四年から九五年までの全シーズンを通して出場して、ネブラスカ大学でのプレーを終えた。95年シーズンの終わりに、ウィリアムズはグリーン・ベイ・パッカーズと契約した(p.193)

『スポーツ・ヒーローと性犯罪』
※ウィリアムズはフットボール選手、オズボーンは監督。

問題を起こして反省しない選手、フットボールのために裁判を延期する弁護士、その選手を起用する監督、プロ契約を交わすチーム。
それでもフットボールを見て楽しみ、応援する観客、そして地元の人々。
それを可能にする裁判のシステムも…。

「やったもん勝ち」の世界がそこにはあるようだ…。