非本来的に実存する人がたえず時を失っていていつになっても時間がないのに対して、本来的実存の時間性の特徴は、覚悟性において決して時間を失わず、《常にゆとりをもつ》ことにある(ハイデガー『存在と時間』(下)p.375、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫)
いつも「時間がない」人は流れゆく世間にまみれて自分の生を生きられなくなっている。
逆に将来を、そして理想を見据えて自分の生を生きる人には、時間のゆとりがある。
読書メモ、考察など。
非本来的に実存する人がたえず時を失っていていつになっても時間がないのに対して、本来的実存の時間性の特徴は、覚悟性において決して時間を失わず、《常にゆとりをもつ》ことにある(ハイデガー『存在と時間』(下)p.375、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫)
自己は実体としても主観としても把握されえないものであり、むしろ実存にもとづくものである(『存在と時間(下)』(ちくま学芸文庫)p.225)
ウィリアムズは人の乗っている車に向かって発砲して、逮捕された。ウィリアムズの弁護士は、この事件の裁判を二年も遅らせることに成功し、ウィリアムズが起訴されてからも、彼は無実に違いないとオズボーンは公言していた。裁判待ちの間に、ウィリアムズはコーンハスカーズの最強ディフェンス・バックとして名を馳せ、九四年から九五年までの全シーズンを通して出場して、ネブラスカ大学でのプレーを終えた。95年シーズンの終わりに、ウィリアムズはグリーン・ベイ・パッカーズと契約した(p.193)
二人の容疑者を有罪とするには、未成年とセックスをしたという事実を認めればよかっただけなのに、陪審員たちは二人をすべての点で無罪放免とする審判を下した。「未成年とのセックスがあったのかなかったのかが争点だったのに、陪審員たちは、『彼女たちは無理強いされたわけじゃなかったんだから』と頭から聞く耳を持たなかったんです」…「陪審員たちは、未成年とのセックスは犯罪であるという法律を無視したのです」(p.166)
被告のスポーツ選手の方が原告よりたちの悪い性生活癖や性遍歴を持っているのが普通だが、強姦裁判では原告の信頼性が勝敗を分ける。裁判がすすむにつれて原告の人物像が傷つけられるので、英雄視されているスポーツ選手の方は断然有利になる(p.167)
スポーツ選手の加害者が圧倒的にアフリカ系なのは、アフリカ系という人種だからというわけではない。それより、社会的に準備のできていない若者、社会生活を営む上での問題を多く抱えている若者をスポーツ選手として入団させる結果、アフリカ系アメリカ人が圧倒的に多いスポーツ選手の加害者が圧倒的にアフリカ系ということになるのだ。(p.16)
ステップ1 時間の捉え方には、A系列とB系列の二種類ある。
ステップ2 B系列だけでは、時間を捉えるのに不十分である。
ステップ3 A系列が、時間にとって本質的である。
ステップ4 A系列は矛盾している。
ゴール 時間は実在しない。
(60頁)
1 「実在」という概念が含む複数の意味を考慮しつつ、マクタガートの「実在」観のゆれや不十分さについて論じた。
2 マクタガートと反マクタガートとのあいだの癒着の構造(大きな循環・無限後退)を、証明の中からあぶり出し、さらに、三つの形而上学的な立場(マクタガート・A系列論者・B系列論者)の絡み合いを解きほぐすことによって、「矛盾」の実相に迫った。
3 A系列の内にすでにB系列が食い込んでいることを、マクタガート自身の記述の中から読み取り、A系列とB系列の相互浸透を論じた。さらに、一体化しているA系列と変化とのあいだに、楔を打ち込む可能性についても言及した。
(226頁)
1過去・現在・未来の水平的な関係と、時制的な観点と無時世的な観点との垂直的な関係
2 「とりあえず性」が含む無関係という関係
(269頁)
ここで、画像対象という概念を導入すると役に立つ。たとえば、次の図は〈画像の顔〉であろう。
わたくしはこれに対しては、多くの点で一つの人間の顔に対するようにふるまう。わたくしはこの表情を研究することができ、その表情に対しては、人間の顔の表情に対するように反応することができる。子供は画像の人間や画像の動物に対して語りかけ、それらを人形でも扱うように取り扱うことができる。(『哲学探究』386頁)