2007/09/29

陪審員制とスポーツ選手の性犯罪

二人の容疑者を有罪とするには、未成年とセックスをしたという事実を認めればよかっただけなのに、陪審員たちは二人をすべての点で無罪放免とする審判を下した。「未成年とのセックスがあったのかなかったのかが争点だったのに、陪審員たちは、『彼女たちは無理強いされたわけじゃなかったんだから』と頭から聞く耳を持たなかったんです」…「陪審員たちは、未成年とのセックスは犯罪であるという法律を無視したのです」(p.166)

被告のスポーツ選手の方が原告よりたちの悪い性生活癖や性遍歴を持っているのが普通だが、強姦裁判では原告の信頼性が勝敗を分ける。裁判がすすむにつれて原告の人物像が傷つけられるので、英雄視されているスポーツ選手の方は断然有利になる(p.167)

『スポーツ・ヒーローと性犯罪』

印象に左右されるということが起こるのは理解できるが、それによって法律を無視してしまうというのは想像以上。
法律を超える余地を残すことに意義はあるだろうが、「何のための法律か!?」という疑問は起こってしまう。
「それでうまく回っている」というのであれば、口を挟む必要はないのかもしれないが…。

スポーツ選手の性犯罪と人種問題?

スポーツ選手の加害者が圧倒的にアフリカ系なのは、アフリカ系という人種だからというわけではない。それより、社会的に準備のできていない若者、社会生活を営む上での問題を多く抱えている若者をスポーツ選手として入団させる結果、アフリカ系アメリカ人が圧倒的に多いスポーツ選手の加害者が圧倒的にアフリカ系ということになるのだ。(p.16)


短絡的な発想に陥らず、さまざまな事実をよく見て物事を捉えなければならない。