「したがって、「本当の色」や「本当の形」を決めるのは、ただ実用的な規準だけであり、さまざまな「見え」の中に優劣の差があるわけではない。
しかしながら、一枚の効果があるときには十円玉に、またあるときには百円玉に見えたとしたらどうであろうか。いずれか一方が「正常な知覚」であり、他方は「錯覚」にすぎないのではないか。あるいは錯覚でないとすれば、それらは同一の硬貨の異なる「見え」であるのか、それとも、われわれはそのつど異なったものを見ているのか」
野家啓一(1993)科学の解釈学. 273--274頁
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